平松 大佑(ひらまつ・だいすけ)

1977年11月生まれ

[経歴]

十文字短大付属幼稚園、朝霞市立朝霞第五小学校、新座市立東北小学校、
新座市立第二中学校、埼玉県立浦和西高校を経て、東海大学政治経済学部卒業。

埼玉県議会議員吉田よしのりの秘書を経て、
平成16年2月、3228票を頂き、新座市議会議員に初当選。
平成20年、3770票を頂きトップ当選。市議会会派代表、文教経済常任委員長、建設経済常任委員長を務める。
平成24年7月、新座市長選挙に立候補するも落選。

市長選落選後は政治とは無縁の都内民間企業で経験を積む。
新規事業の開発責任者、部長職などを務める。

平成28年2月、新座市議会議員選挙にてトップ当選。
平成31年4月、埼玉県議会議員選挙にて、19744票を頂き、トップ当選。

小学校の卒業文集には「ぼくは将来政治家になりたいです。そして悪いことをしている政治家をこらしめて悪い政治家がわいろとしてもらった金を全国の人に分けてあげたいです。」と書く。

[心がけていること]

・巧詐は拙誠に如かず(巧みに偽り人を欺こうとしても、つたなくとも誠意を示すことにはかなわない)
・君子は和して同ぜず(優れた人間は調和をしながらも、主体性を失わず、安易に同調しない。)

 

生い立ち思い出

 

幼少期

昭和52年11月18日生まれ
両親は山口県の出身。血液型はB型。
千葉県船橋市で生まれ、佐倉市、志木市本町と引っ越し、幼稚園のときに新座市野火止3丁目へ。

十文字女子短期大学付属幼稚園(現十文字女子大附属幼稚園)入園
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小学生~中学生時代

朝霞市立第五小学校入学
1年生から3年生まで過ごす。
その後再び新座市へと引っ越し。今度は東北二丁目へ。

新座市立東北小学校に転校
小学時代のあだ名はひらめ。平松だと言いにくいという理由?で。
みんなで遅くまでよく遊んでいました。

新座市立第二中学校入学
部活はバドミントン部、その後卓球部。生徒会活動も少し。

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高校生時代

埼玉県立浦和西高校入学
部活は山岳部。国内の様々な山に登りました。持久力や忍耐力が鍛えられました。

浦和西高校は自主自立という校風。制服もないという自由な校風のなかで将来のことを考えました。

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山岳部でのエピソード

冬山登山は座って休めば、その座った形のままズボンが凍ってしまうような過酷な状況。
輪かんじきと呼ばれるものを履いて歩いても、2メートル近く積もっている雪の中では埋まってしまうことも。
吹雪く中をひたすら登山していました。
別の登山の際には赤い虫がぴょんぴょんと泳いでいるような池の水を沸かして飲んだり、夏山登山では一週間ぐらい風呂にも入らず、ひたすら縦走したり。今となっては良い思い出です。このころから環境問題に強い関心が出てきました。

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大学生時代

東海大学政治経済学部政治学科入学
大学の近くでひとり暮らし。自活していたので、アパートの家賃など生活費を稼ぐために週5、6日のアルバイトを。
大学時代に過ごした神奈川県秦野市は周りを丹沢の山々に囲まれた盆地です。
エアコンの付いていないアパートに住んでいたので、夏の暑さが少々辛かったですが、山が近く、少し行けば海にも出られ、とても恵まれた環境でした。
また時間の取れる限り、選挙ボランティア、大学の先輩の議員事務所でボランティア活動を行いました。
さらに友人たちとNPO団体を立ち上げ、若い世代の社会参加に取り組みました。充実した大学生活でした。

議員秘書時代

埼玉県議会議員(当時)吉田よしのりの秘書となる。
ハードな仕事でしたが、充実していました。
政策のことなど毎日が勉強でした。
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新座市議会議員時代

平成16年2月、無所属の戦いでしたが、3228票をいただき、2位で新座市議会議員に初当選させていただきました。
平成20年2月、新座市議会議員に再選。今度は3770票にてトップ当選をさせていただきました。地区まちづくり条例、小中学校の普通教室へのエアコン導入などを実現。
平成24年7月新座市長選挙に挑戦するも落選。
民間企業に就職

民間時代

メディアベンチャーでは事業推進部部長を務めると同時に、新規事業の責任者として「自治体通信」をゼロから立ち上げる。
ITベンチャーでは営業部長として主に学校向けの取組を行う。

尊敬するカレーのココイチ創業者の宗次德二さんと。
民間を離れた今もご指導いただいております。